市原 洋 Hiroshi Ichihara Special Interview

思い出は断片的なものばかりですけど、 どれも僕にとって楽しい時間であり大切なものなのです。 小学校卒業後から、ずっと湘南地区で生活してきた市原さんは 「カメラを止めるな!」で一躍、全国区に。映画俳優となったきっかけは? そして今後、目指すものは一体何なのか。

僕が俳優を目指すようになったのは 28 歳の時でした。大学卒業後、普通に就職して販売員として働きましたが、3年ほど経つと、何をやっても自分は平均以下のような気がして、何か他の人よりも秀でるものをやった方がいいじゃないかと考えるようになりました。そしてこれ以上いたら仕事先にも迷惑をかけると、会社を辞めたのです。
その後はお笑い芸人を目指すため、コメディースクールに通いました。もともと面白いことが好きだったし、お笑い芸人は作家性と演者的なものを同時に備えているので憧れたのです。でも性格に難があるのか、なかなか相方が見つからなかった。そんなときに友人からちょっと覗いてみたらと紹介されたのがパフォーミングアカデミーでした。そこで、即興芝居を恥ずかしがらずにやったら、笑ってもらい、そして褒められたので俳優を目指すことにしたのです。
アカデミーでは、監督から演技レッスンを受けたりするのですが、毎回レッスンの終わりに受講生が一番よかったと思う人に投票し、1ヶ月ごとに集計して順位をつける。3、4ヶ月経った頃、僕は1位になった。しかしだからといってすぐに役をもらえるわけではなかったし、時には壁にぶつかったり、またへこんだりしたものです。
上田慎一郎監督と出会ったのもこのアカデミーでした。監督の作品は「テイク8」なども観たし、好きなものが多かったので、「カメラを止めるな!」は、監督のいいところをぎゅっと詰め込んだ総決算的なものになるだろうと思っていました。台本を見たときには、 37 分間ワンカットなど、危険な賭けもあったので、リスクも負った作品を撮るんだとちょっとびっくりもしました。撮影が始まると、何かを考えながら、あるいは何かを 狙って芝居をするなんて余裕はなく、あたふたとやったというのが正直なところです。
監督からは「芝居でないものが見たい」とか、「虚実入り交じったものを撮りたい」と言われましたが、それがどういうことなのか、最初はよくわかりませんでした。でも実際ワンカット撮影で自分があたふたしたり共演者がフォローしてくれたのを後で確認したときすごくリアルに感じました。本物の緊張感というか。なるほど監督はこれを言いたかったのか!と。
「カメラを止めるな!」に出られたことは光栄ですし、一生懸命やったという自負も少しはありますが、監督にうまく使っていただいたという気持ちの方が大きい。眼鏡もそうですし、服装とかもアニメチック。それは上田慎一郎監督とふくだみゆき監督の提案のおかげで、人々の記憶に残るような役にしていただいたのです。
僕はいわゆる怪演が魅力とされる役者さん、例えばダークナイトのヒース・レジャーとか、半沢直樹役をやった堺雅人さんみたいな、濃いキャラクターの役者さんが好きです。喜劇役者のムロツヨシさんのキャラはすごい好きで、憧れたし、自分も面白いキャラで面白い演技をして笑ってもらえたらうれしいと思っています。
中学の時から湘南地区で生活してきただけに、ここにはたくさんの友達や、バイトでお世話になった人がいます。思い出は断片的なものばかりなんですけど、どれも僕にとって楽しい時間であり大切なものです。
「カメラを止めるな!」のおかげで、たくさんの人に自分を見てもらいました。この先、もし役者として進歩がないものしか見せられなかったら、そのまますぐに終わってしまうでしょう。本当に大事なのはこれからだと思っています。

面白い演技をして笑ってもらうのが一番うれしい。

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■PROFILE

市原 洋(いちはらひろし)
1986年生まれ、東京都出身。
2014年より役者としての活動をスタート。
株式会社andpictures企画『SHORT TRIAL PROJECT 2016』 (川村清人監督『ダムドガールズキャバレークラブ』)で 映画初出演する。
同会社製作の短編オムニバス企画『龍vs虎』(賀々贒三監督 『にんげんにうまれてしまった』)が公開待機中。
主な出演作に、舞台「しずる館premium live」、ネット配信番組『しずる館』、WebCM『未来写真三井不動産 レジデンシャル~みんなの住まい~』など。

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